2ntブログ

どーも! 知ってますか?USSR!!!!


どーも! 僕です!

そーです!そーです!

世界平和を願って止まない

ハゲの最上級 口だけ番長

そして 実は海外での生活経験がある

げーはー三上です!


ネーム長ぁ~がっ!



海外での生活は その国の生活習慣や常識

文化や社会体制の違いにより

日本で暮らす我々には、想像できないような

ホントに面倒くて面白いコト たまにとんでもない大変なコトが たくさん起きる。

そーいう経験を このブログで ちょっとずつ書いていこうと思う。




1回目は ちょっと真面目な話し。


海外で生活していた場所は
米国ワシントン州シアトル
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目的は 大学へ通うため。

専攻は International relationships (国際関係論)


在学中にとんでもないことが起きた。

ドイツを東西に隔てていた ベルリンの壁崩壊である。

当時の世界は 社会主義を標榜するソ連圏・東側諸国と 民主主義の米国圏・西側諸国とが
冷たい戦争と言われた冷戦を ガチンコで戦っていた。

その最前線であり象徴だったのが
ベルリンの壁だった。

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米国を中心とした西側諸国の経済力(工業力・技術力等)が圧倒的に強く

「いつかはあるだろう、でもまだまだ先だろう」

そう思われていた
社会主義VS民主主義の象徴
ベルリンの壁が東側市民によってぶち壊されたのだ。
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ゴルバチョフ書記長の登場で、もしかして....とは思っていたが

まさに驚天動地の出来事だった。


その後 東西ドイツの統合 ソ連邦の崩壊へと
雪崩をうつように世界が激変していった。

当時、ソ連国籍の男友達がいたが、声もかけれないくらい、日に日に顔面蒼白になっていってた。

ご家族が母国に居たのだ。結局、親からの仕送りが滞り、在学中に帰国した。

かける言葉もなかった。

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当時の教授は

「私が生きている間に あって欲しいけど ないだろうな...ベルリンの壁崩壊は」そう言っていた。

壁が崩壊する、ほんの1~2年前は、ソ連内部のことについて全く情報がなく 厚いベールに包まれていた。

わずかに ソ連から追放中であった ソルジェニーツィン氏の本で 超監視社会や情報統制、強制収容所などの事実を うかがい知る程度だった。

彼が どういう方法で留学できたのかは分からないが... ソ連国籍の友達とも そういうセンシティブな話しは一切しなかった。周りの友達を含め、避けるような雰囲気があった。今思えば、酷い話しだ。

まだガキだった私には、上手く接することができなかったのだと思う。

いずれにせよ、当時ソ連邦は暗くて冷たい、強い国だと思っていた。

しかし、実際はガタガタの末期的社会情勢だったのだ。

事実は小説よりも奇なり。

「まさに常識は疑ってかかれ」である。


着地点が分からなくなってきたので ハードランディングする。




終わり。



ちなみにソ連国籍の友達は SEを専攻していた。

 






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